豊臣秀吉のキリシタン弾圧に於いて、1597年に都(京都)・大阪で逮捕され都(京都)から長崎まで約1か月かけて歩き、2月5日長崎の西坂で26名殉教しました 喜斎の生地は備前藩芳賀村(現在の岡山市北区芳賀)と言われています。当時この地域(備前)は宇喜多秀家が藩主として治めており、多くの家来や家族がキリシタンであったとのことです。喜斎は温和で謙遜な人柄で、堺の商家に奉公し、のち教会の受付をしていたと伝えられています。
列聖100年(1962年)を前に、1958年に地元芳賀の市川数太氏らがかなり昔から天主岩と呼ばれていた岩の上に記念碑を建立し、喜斎の墓として祀っていました。
その後殉教400年を記念し、1996年秋に付近を整備『聖ディエゴ喜斎記念公園』としました。毎年5月に芳賀巡礼として、岡山教会から現地まで徒歩巡礼を行い、野外ミサを捧げています。
なお、岡山教会では2001年の新聖堂献堂を機に教会の保護聖人と定め、聖堂名を
『聖ディエゴ喜斎記念聖堂』と名付けました。
岡山教会では聖人関係の資料として下記を取り揃えています。関心のある方は教会事務所までお問合わせください。
@ 日本二十六聖人/殉教者聖ディエゴ喜斎とふるさと岡山…A6版小冊子
A パンフレット(日本語・英語・スペイン語・ポルトガル語)
B 広島教区殉教地・巡礼地案内…A5版冊子